東京地方裁判所 昭和49年(ワ)11131号 判決 1976年10月19日
原告
吉松勇太郎
ほか一名
被告
馬場雄一
ほか二名
主文
一 被告らは、各自、原告らに対してそれぞれ金二一一万三、五五〇円宛及びこれに対する被告馬場雄一、同内山コンクリート工業株式会社に関しては昭和五〇年一月一四日以降、被告清水高信に関しては昭和五〇年一月一五日以降、各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを二分し、その一を原告らの、その余を被告らの負担とする。
四 この判決は、原告ら勝訴部分に限り仮に執行することができる。
事実
第一申立
(原告ら)
一 被告らは各自、原告両名それぞれに対して金四九三万五、〇〇〇円及びこれらに対する訴状送達日の翌日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は、被告らの負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言。
(被告ら)
一 原告両名の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、原告両名の負担とする。
との判決。
第二主張
(原告ら)
「請求原因」
一 訴外吉松哲夫(以下単に「訴外哲夫」という)は、次の交通事故によつて死亡した。
(一) 発生時 昭和四七年三月二一日午後五時一五分頃
(二) 発生地 千葉県東葛飾郡浦安町一、二一〇番地の二、交差点
(三) 事故の態様
訴外哲夫が同乗していた被告馬場雄一運転の普通乗用車(習志野五五は九三―〇七、以下「馬場車」という)と、訴外大貫一三運転のコンクリートミキサー車(足立八ろ〇七―〇〇、以下「大貫車」という。なお訴外大貫一三の姓は事故当時「並木」であつたが、以下すべて訴外大貫一三で統一する)が衝突した。
(四) 被害者並びに権利の承継
右事故により訴外哲夫は、左側頭部頸部切傷の傷害を負い、昭和四七年三月二一日午後五時一五分頃死亡した。同人は昭和二九年一月一三日生の男で、原告吉松勇太郎原告吉松利の五男である。
(五) 事故の具体的内容
被告馬場雄一は、馬場車を運転し時速八〇キロメートルで交通整理の行なわれていない事故現場交差点を浦安駅方面から埋立地方面へ向けて直進しようとしたところ交差点手前約一二五メートルの地点で右方道路から訴外大貫一三運転の大貫車が交差点に進入してくるのを認めたのであるから、かかる場合自動車運転者としては彼我相互の速度、距離を勘案し且つ同車の動静に留意して進路の安全を確認したうえ進行すべき注意義務があるのにこれを怠り、大貫車の前を通過できるものと軽信し、進路の安全を確認しないで前記速度のまま進行を続けた過失により、大貫車が交差点を右から左に横断進行して自車の進路に達し、引続き横断進行中であることを約二七メートル手前になつて認め、初めて時速約五〇キロメートルに減速し右に転把して大貫車の後方を通過しようとしたのであるが、間に合わず、同車後部に自車を衝突させ、よつて前記のとおり訴外哲夫を死亡させたほか、同じく同乗していた和田有功(当一八年)に加療約五〇日を要する頭部外傷等の傷害を、同じく田向文子(当一七年)に加療一二日間の顔部外傷を負わせるに至つたものである。
右事故は、訴外大貫一三が、交差点を通過する際には左右の安全を確認して進入し、且つ速やかに通過すべき注意義務があるのにこれを怠り、馬場車が進行して来るのに気ずかないまま漫然交差点に進入し、交差点内で徐行していた過失もその原因となつている。
二 被告馬場雄一は、前記のごとく前方不注視の過失により本件事故を発生させたものであるから、不法行為者として原告らの蒙つた損害を賠償すべき責任がある。
また被告清水高信は馬場車を、被告内山コンクリート工業株式会社(以下「被告会社」という)は大貫車をそれぞれ所有して、自己のため運行の用に供していたものであるから自賠法三条により賠償責任がある。
三 亡訴外哲夫は、死亡当時一八歳の身体頑健な男子で、性格温良で既に高校を卒業して調理学校への入学が決つていた。
従つて本件事故がなければ、遅くとも満二〇歳で調理士として就職し、同年から満六七歳までの四七年間、少くとも男子労働者の平均賃金相当の収入が得られたはずである。
そうすると原告らの損害は次のとおりとなる。
(一) 葬祭費 三〇万円
(二) 亡訴外哲夫の逸失利益 一、二四九万円
昭和四八年度の賃金センサスによれば、新高卒二〇歳の男子労働者の平均賃金は年収一一〇万七、六〇〇円(月収七万四、九〇〇円並びに賞与等二〇万八、八〇〇円)であるところ、生活費を収入の五〇%とみてこれを差引いたうえ、満六七歳までの四七年間の右収入をホフマン式計算法により現価に引直すと右金額となる。
(三) 原告らの慰藉料 各二〇〇万円
(四) 弁護士費用 五〇万円
三 右のうち(一)葬祭費、(四)弁護士費用、は原告らにおいて均分負担しており、また(二)亡訴外哲夫の逸失利益については、原告らが相続人として各二分の一の割合で承継した。
よつて原告らの損害合計は各八六四万五、〇〇〇円となる。しかるところ原告らは、被告馬場雄一から一〇〇万円、自賠責保険から六四二万円の損害の填補を受けているので、相続分に従い、これを二分し、各々の損害に充当すると、原告らの損害は、各四九三万五、〇〇〇円となる。
四 そこで原告らは、被告ら各自に対して右金員並びにこれに対する本訴状送達日の翌日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払を求めて本訴に及んだ次第である。
「被告馬場、同清水の抗弁に対する答弁」
亡訴外哲夫が馬場車に同乗するに至つた経緯については不知。
被告らが慰藉料として支払つたと主張する金員のうち一部については認めるが、いずれにしろその主張金額が子を喪つた者に対する積極的な慰藉に該るとは考えられない。
また双方間に示談交渉があつたことは認められるも、不成立に終つたのであるから、本訴で考慮すべきことではない。
「被告会社の抗弁に対する答弁」
否認する。訴外大貫一三が交差点内で徒らに徐行運転したことは前記のとおりである。
(被告馬場、同清水)
請求原因一項中、(一)ないし(三)項及び訴外哲夫が死亡したことは認め、(四)項は不知、(五)項は争う。
同二項中、被告馬場雄一に関しては、その責任原因を争う。被告清水高信に関しては、馬場車を所有していたことは認めるも、自己のため運行の用に供していたとの点は争う。
同三項中、亡訴外哲夫が死亡当時高校を卒業して調理学校へ入学する予定であつたことは認めるが、その余は不知。損害額については争う。
同四項中、損害の填補があつたことは認める。
「抗弁」
一 被告馬場雄一は、昭和四七年一月頃から亡訴外哲夫に依頼されて、同人が自動車教習所へ通う度に自動車を送迎していた。そして事故前々日も同人から依頼されて同人を乗せて栃木まで自動車で往き、事故前日の夜帰宅したものである。そのため同被告は疲れて眠つていたものであるが、亡訴外哲夫に頼まれて同人の自動車教習所の卒業試験のため、被告清水高信から自動車を借りて同人の送迎をし、その後にドライブをしていた途中本件事故が発生したものである。
亡訴外哲夫が馬場車に同乗したのは右のごとき経過からであるから、被告馬場雄一に過失ありとしても同人の責任は経減されるべきである。
二 被告馬場雄一は、香典等として一二万九、五八〇円を支払つて原告らに対し慰藉の意を表わした。
また被告馬場雄一に対する刑事々件の進行中、双方代理人によつて示談交渉が行われ、被告馬場雄一において一〇〇万円を支払う旨の提案がなされたが、原告らの主張額が二〇〇万円ということで不成立に終つたが、被告馬場雄一において一〇〇万円を供託した。これが原告らが被告馬場雄一から受領したと主張している分である。
(被告会社)
「請求原因に対する答弁」
請求原因一項中、(一)ないし(三)項、及び訴外哲夫が死亡したこと(五)項のうち被告馬場雄一の過失については認める、(四)項は不知、(五)項のうち訴外大貫一三の過失は否認する。
同二項中、被告会社が、大貫車の運行供用者であることは認める。
同三、四項は不知。
「抗弁」
本件事故は、被告馬場雄一の一方的過失により惹起されたもので且つ大貫車には構造上の欠陥、機能上の障害はなく、訴外大貫一三は交差点を通過すべく車両を進行させていただけで、車の運行につき過失はなかつたので、被告会社には自賠法三条但書の免責が認められるべきである。
第三証拠〔略〕
理由
一 原告主張の交差点上で、被告馬場雄一運転の馬場車と、訴外大貫一三運転の大貫車が衝突し、訴外哲夫が死亡したことは当事者間に争いがない。
また被告会社が、大貫車の運行供用車であることは同被告の自認するところなので、同被告は、自賠法三条但書の免責の抗弁が認められない限り原告らの蒙つた損害を賠償すべき義務がある。
次に被告清水高信は、馬場車の所有者であることを自認しているので、同車両を自己のために運行の用に供していた者と推認されるのみならず、被告馬場雄一本人尋問の結果によれば、同被告は叔母の夫たる被告清水高信の明示もしくは暗黙の了解のもとに右車両を運転したことが認められる。よつて被告清水高信も馬場車の運行供用車として賠償義務がある。
二 被告馬場雄一につき本件事故発生についての過失を検討するに、成立につき争いのない甲第四号証、丙第一、第二号証、被告馬場雄一本人尋問の結果を総合すると、
(一) 本件事故現場は、東京都江戸川区と浦安埋立地を結ぶ四車線の開発道路(以下「甲道路」という)と、浦安町堀江地区と同町当代島地区を結ぶ町道(以下「乙道路」という)とが交わる信号機の設置されていない交差点上で、付近の道路状況、馬場車、大貫車の進行状況は別紙図面のとおりで、事故当時浦安埋立地方面に、大貫車は浦安町当代島地区に向つていた。
甲・乙道路とも舗装されており、制限速度毎時六〇キロメートルであつたが、甲道路では若者達が制限速度以上で車を飛ばすことがあつた。
他方乙道路上には、別紙図面のとおり、交差点南西側(大貫車からみて交差点入口)に水道管埋設工事跡の幅二メートルの路面破損が、交差点北東側(大貫車からみて交差点出口)に同じく水道管埋設工事跡の幅〇・七メートル、深さ五センチの路面破損があつて、いずれも通過車両は徐行しなければならない状態であつた。
(二) 当時訴外大貫一三は、事故現場付近一帯の工事場に生コンクリートを運ぶ被告会社の業務に従事していて、事故現場は何度となくミキサーを運転して通つており、道路状況は熟知していた。事故当時も工事現場に生コンクリートを運んだ後被告会社に戻る途中であつた。他方被告馬場雄一は、後記のとおり亡訴外哲夫ら友人とドライブしていて中央寄り車線を進行して本件交差点に差しかかつたのであるが、この時の馬場車の速度は毎時八〇キロメートル位であつた。
(三) 別紙図面記載のとおり交差点南西角が空地で見通せるので、被告馬場雄一は、早くから大貫車が乙道路を交差点に向つて進行してくるのに気がついていたが、同車は交差点入口で停止するか、あるいは速やかに交差点を通過して、自車が交差点を通過するのに支障はないと判断していた。
そして同被告は、交差点手前約一二五メートルの地点に達つした時大貫車が交差点に進入してくるのを認めたのであるが、やはり同車は速やかに交差点を通過して自車の交差点通過に支障はないとの判断のもとにアクセルを離して減速したことはあるもそのまま進行した。他方大貫車は交差点進入後、後記のとおり一度徐行し、さらに交差点中央付近で再度徐行状態に入つたのであるが、この間も被告馬場雄一は前同様の判断のもとに右状態で進行していて、大貫車が右のとおり交差点中央付近で再度徐行状態に入つた時には馬場車は同車と約二七メートルの地点に達つしていた。
この時になつて被告馬場雄一は、このままでは右状態の大貫車と衝突する危険を感じ、急拠ハンドルを右に切つて大貫車の後側を通過しようとしたのであるが間に合わず、自車前部左側と大貫車の後部シート部分とが衝突した。
(四) 被告馬場雄一は、右衝突に至るまで前記のとおりアクセルを離して減速したことはあるも、まつたくブレーキ操作をしていないもので、衝突時の馬場車の速度は毎時五〇キロメートル程度であつたと推察される。そのため衝突は、馬場車の屋根、ダツシユパネルがもぎとれ、フロントガラス、左側ドアガラス、計器盤等が大破するという激しさで、助手席に同乗していた訴外哲夫は、頭部切創、頭蓋骨陥没等によつて即死した。
以上の事実が認められる。なお被告馬場雄一本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用しない。
右認定事実によれば、被告馬場雄一が自車前方の本件交差点に大貫車が先入したのを認めた段階で、制動措置をとつて自車を減速さえすればゆうに同車との衝突を回避できたこと、従つて同被告には大貫車の動静を注視して同車の進行に応じてかかる措置をとり、同車の交差点通過を待つて自車を交差点に進入させるべき注意義務があつたことは明らかである。しかるに同被告はこれを怠り右のとおり大貫車の交差点通過を見込んで漫然進行して本件事故を生じさせたものであるから、過失があることは明らかで、よつて不法行為者として原告らの損害を賠償すべき責任がある。
三 さらにここで被告会社の免責の抗弁についても判断するに、被告会社にとつて第三者に該る被告馬場雄一の過失によつて本件事故が生じたことは右にみたとおりであるが、次に述べる理由で訴外大貫一三が大貫車の運行に関し注意を怠らなかつた、との立証が尽くされたとは認め難く、よつてこの抗弁は採用できない。
すなわち前掲各証拠によれば、本件交差点上での大貫車の進行状況は、
(一) 訴外大貫一三は、大貫車を運転して浦安町堀江地区方面から進行してきて、交差点入口にある水道管埋設工事跡の路面破損箇所を通過した交差点入口の別紙図面A地点で一旦停止し、甲道路を浦安駅方面に向う車の通過を待つた。
そしてギヤーはローの状態で加速発進したのであるが、右A地点では甲道路歩道上の並木に見通しが妨げられていたので、今一度左右を確認すべく約三・五メートル進行したB地点で徐行したところ、左方約一〇〇メートルの地点に馬場車が進行してくるのを認めた。しかし訴外大貫一三は、この距離があれば自車が先に横断を完了できると判断し、加速発進して横断を開始した。
(二) B地点から約一〇メートル進行したC地点で、訴外大貫一三は大貫車を再度徐行させたが、この時車の後部は甲道路中央部分に位置していて、そこに前記のとおり馬場車が衝突した。
この時の徐行は、最徐行状態で、被告馬場雄一には大貫車が停止するようにさえ見えた。この徐行につき訴外大貫一三は、事故直後になされた実況見分(甲第四号証)、本件事故に関する被告馬場雄一の刑事裁判での証言(丙第一、第二号証)において、前方交差点出口にある路面破損の状態を確認するため徐行した旨供述している。
なお別紙図面記載のとおりC地点に位置した大貫車の運転席から前記交差点出口にある水道管埋設工事跡の路面破損箇所まで約七メートルの距離がある。
以上の事実が認められる。
馬場車は、大貫車の後部に衝突しているので、大貫車がC地点で徐行することなく、そのままの速度で交差点を通過しておれば本件事故は防ぎ得たとの原告らの主張も一応頷けるところである。
もつとも道路交通法は、交差点を速やかに通過すべきで一時停止をしてはならないと定めているが、危険防止のための一時停止は許しており、従つてかかる一時停止に対処するため被告馬場雄一において大貫車の動静に注意すべき義務があつたことは前記のとおりで、かかる注意を欠いた同被告の漫然運転が、本件事故原因の大半を占めていることは明らかである。
しかし訴外大貫一三に、本件交差点内で最徐行せねばならなかつた必要があつたとは認められず、同人の主張する理由も合理性を欠くと判断せざるを得ない。
すなわち前認定のとおり訴外大貫一三は本件交差点の状況は熟知しており、この時は一度通過しての戻りであつたのみならず、付近はすべて舗装されて破損箇所は容易に知り得たのである。これに加え右認定事実からすれば交差点通過中の大貫車の速度は毎時一〇キロメートルを上回る程度の低速だつたのである。従つて破損箇所確認のため徐行する必要があつたか否かは疑問であり、仮にその必要があつたとしてもその箇所に接近してから確認するのが本来で且つそれが可能な状態にあつたわけである。
しかるに右認定のとおり訴外大貫一三は、破損箇所手前七メートルの地点で、馬場車が進行してくるのを知りながら、その進行を遮断するように交差点内で停止に近いような最徐行をしているのであるが、右に述べたごとくこの地点で最徐行までして破損箇所を確認する必要があつたとは認め難く、不必要、不自然な徐行を交差点内でなしたとしか思えない。
そうすると、本件交差点内での大貫車の運行に関し、訴外大貫一三に過失がなかつたとの立証があつたとは認め難く、従つて前記のとおり被告会社の免責の抗弁は採用できないことになる。
よつて被告会社も原告らの損害を賠償すべき義務がある。
四 そこで次に原告らの損害について検討するに成立につき争いのない甲第五号証、同第六号証の一、二、乙第五ないし第八号証、証人馬場賢一の証言、原告吉松勇太郎、被告馬場雄一の各本人尋問の結果を総合すると、亡訴外哲夫は、原告ら間の子供で、事故当時一八歳(昭和二九年一月一三日生)の男子で、高校を卒業し調理学校への入学が決つていて、同校に二年間通学した後調理士になる予定であつたこと、同人は被告馬場雄一とは中学校以来の友人で、当時通つていた自動車教習所への通学に際し、同被告に頼んで五・六度その運転する車を利用したことがあり、そのほかにも共にドライブしたりしていて、本件事故前々日も同被告が本件事故時の車を運転して共に栃木県の友人宅まで行き事故前日に戻つたところであつたこと、ところがさらに事故当日の朝被告馬場雄一は、亡哲夫から同人が自動車教習所に卒業証書を取りに行くのに車で送つて貰いたい旨電話で頼まれ、偶々家にあつた本件馬場車で亡哲夫を自動車教習所まで送つてやつたのであるが、用事を終えた後も被告馬場雄一の運転でドライブをはじめ、その後立寄つた双方の友人である和田有功も乗り合わせてドライブ中に本件事故が生ずるに至つたこと、事故後被告馬場雄一、及び同人の父たる馬場賢一は、再三原告ら方を訪れ亡哲夫の仏前に参り、香殿、線香、果物などを捧げたのであるが、その合計は一二万円余になつていること、また被告馬場雄一は、自己の刑事裁判を有利に運ぼうとの考えもあつてのことであるが、父馬場賢一の助力のもとに、代理人たる弁護士を介し、原告らに対して損害金として一〇〇万円の支払を申し入れ、回答がなかつたのでこれを供託したこと、の各事実が認められる。
右認定事実からすれば、本件はドライブ中の事故とはいえ、そもそもは亡訴外哲夫のため被告馬場雄一が車を運転してやつたことから始まつており、しかも同被告はこれまでも亡哲夫のため同様の便宜を図つてやつていたのである。かかる亡訴外哲夫と被告馬場雄一との好意同乗の関係は、同被告、被告清水高信の原告らの賠償額算定につき公平の見地から減額事由として考慮されるべきで、その割合は、右好意同乗の経過に鑑み全損害につき二割減額するのを相当と判断する。
さらに本件にあつては、右亡訴外哲夫が同乗に至つた経過等同人と被告馬場雄一との関係、及び前記のとおり本件事故は大半被告馬場雄一の過失に基因していて、しかもこの時亡訴外哲夫は助手席に乗つていたことを考慮すると、被告会社の賠償責任についても、右割合で減額するのを相当とする。
五 よつて原告らの損害額は次のとおりとなる。
(一) 葬祭費 二〇万円
原告らは亡訴外哲夫の葬祭費として三〇万円を要したと主張しているところ、この額は相当と認められるが、前記のとおり馬場賢一において相当額の出捐しているので、これを考慮し、二五万円の限度で葬祭費を認め、その二割を減額した右金額を本件事故による損害と認める。
(二) 逸失利益 七〇四万七、一〇〇円
右認定事実によれば、亡訴外哲夫は、原告ら主張のとおり二〇歳から六七歳までの間、新高卒の男子の平均賃金である年額一一〇万七、六〇〇円の収入があり、生活費として五〇%を差引いた年額五五万三、八〇〇円の利益を死亡によつて喪つたと認められる。
よつてこの間のこの利益をライプニツツ方式によつて事故時の現価に引直すと、九〇三万二、〇九〇円となる。
そこから満二〇歳に達つする二年間の年額一二万円の養育費を同じ方式によつて現価に引直した二二万三、一二八円を差引いた八八〇万八、九六二円が亡訴外哲夫の逸失利益であるが、その二割を減額した七〇四万七、一〇〇円(一〇〇円未満切捨)が本件事故による損害となる。
(三) 慰藉料 計四〇〇万円(各二〇〇万円)
原告らは、亡訴外哲夫の好意同乗の点を考慮してか、慰藉料を少な目に請求しており、前記事実を勘案し、且つ好意同乗による減額をすると原告ら請求どおりをもつて相当とする。
(四) 損害の填補 三八二万七、一〇〇円
右合計は一一二四万七、一〇〇円であるところ、原告らが損害の填補として七四二万円を受取つたことは自認するところなので、これを差引いた三八二万七、一〇〇円が原告らの損害となる。
(五) 弁護士費用 四〇万円
本件訴訟の経過、認容額に鑑み、原告らの弁護士費用のうち右金額が本件事故と因果関係があるものと判断する。
六 前記の身分関係であるから、原告らは亡訴外哲夫の逸失利益を二分の一づつ相続しており、また葬祭費、弁護士費用は等分に負担していると推認されるので、原告ら各自の損害額は二一一万三、五五〇円となる。
よつて原告らの本訴請求は、被告ら各自に対して各右金額及びこれらに対する本件事故後である被告馬場雄一、被告会社に関しては昭和五〇年一月一四日以降、被告清水高信に関しては同年一月一五日以降(いずれも本訴状送達の日の翌日)、各支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので、この限度で認容し、その余の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 岡部崇明)
別紙 図面
<省略>